基礎を基礎から考える

基礎とは物事を成り立たせる大もとの部分。文字通り礎となる基である。

多くの人は何事も基礎が大切だと言うが、何を基礎とするかは人によって違う。ある人によっては基礎のつもりでも、他の人から見れば応用に見えることも多々あるし、その人の立場や、周りの環境、時代の流れと共に大きく変わっていくものである。今の大人が常識だと思っていたことが、今の子供たちには通じないのと同じように。

何を基礎と定義するかでそこから先の未来は大きく変わるだろう。まずは「サッカーの基礎」ではなく、多くの子供に関わる一指導者として「育成の基礎」ついて、現段階のツバサが示す定義を基礎から考える。

まず、育成の目的は「その子のより良い未来のためにあるもの」である。未来というのは1年後、2年後ではなく、10年後、20年後、といった大人になったその先である。「◯年後、〇〇が出来る様になっていたら育成成功!」と呼べるものは存在しないので、この辺はなかなか難しいものだなと感じる。

例えばプロサッカー選手になることをゴールに考えていたとしても、5年後、10年後には違う夢ができているかもしれない、というより99%以上の人がプロサッカー選手にはなれない。明確な将来へのビジョンがない人も多いだろう。そう「育成の基礎」から考えると、サッカーの技術を教えるのに意義はほとんどない。よく言われるボールを「止める」「運ぶ」「蹴る」技術を社会で役立てれる人なんてほぼいない。だったら算数の四則演算をやっていた方が、まだいくらか役に立つ。

だとしたら、このスポーツを通して得られるもので、子供のより良い未来に役立つものは何か?

まず最初に思い浮かぶものは「仲間の存在」だ。役に立つという表現が正しいかは別として「より良い未来」のためには不可欠だろう。スポーツには仲間(特にチームスポーツであるサッカーは)が不可欠であり、お互いにコミュニケーションを取りながら楽しむものである。

次は「自律性」だ。ここで自主性と自律性の違いについて明確にしておく。自主性とは「自ら判断して決められた事柄を率先して行う態度のこと」自律性とは「他者から支配や強制を受けずに、自らが立てた規範に従い行動すること」である。つまり、やるべきことに積極的に取り組むか、何をやるべきか自ら考え行動を起こすかの違いだ。「まずは大人の言うことを聞いて欲しい」「先人たちの教えに従ってほしい」と言う人もいるだろうから、好みが分かれるだろうが、私は断然、自律性を身につけて欲しいと考える。なぜなら私自身がそうやって生きてきたからなのだろう。笑

この自律性もスポーツを通して身につけられる。楽しむために、チームのために、勝つために、動機は様々だろうが、そのために今何をしたら良いのかを考え実行する。立派な自律性だ。

最後に思い浮かぶのは「スポーツそのものの存在」だ。スポーツは子供の間にだけ楽しむものではない。大人になってからも楽しんでいいし、健康的な生活を送るためには適度な運動は必要だ。新たな仲間を作る場にもなる。サッカーに限らず、大人になってからもスポーツを楽しむと言うのは大きな意義がある。

この「仲間」「自律性」「スポーツの存在」の3つはスポーツを通して得られ、子供のより良い将来のために役立つものだと私は考える。

以上を踏まえた上でツバサの示す「育成の基礎」は。

1、個人を尊重する

当たり前のこと、でも簡単ではない。10人いれば10個の違う意見がある。全てを同時には出来ないし、かといってそれぞれの意見に優先順位をつけてもいけない。それは指導者である私の意見も含めて。尊重されなかった子は、他人を尊重できなくなる。だからまずは指導者である私が子供の意見を尊重する。そしてお互いがその人らしさを尊重し、認め合うことができれば「最高の仲間」に繋がると考える。

2、成長できる環境

自律性は言われたことをやるのではなく、まずは何をすべきか子供自身で考えないといけない。もちろん初めは上手くいかないことが多いだろう。しかしここで指導者が口を出してしまうと、自律性は育たない。子供自身の考えで、何度もトライ&エラーを繰り返し目標に近づくことで自信が生まれ、そこに至るまでの過程全てが学びとなり、成長に繋がると考える。

3、スポーツを楽しむ

「個人を尊重」し「成長できる環境」があれば大抵のことは楽しくできる。強いて言えば私自身も楽しむことくらい。しかしスポーツを楽しむことは大きな意義がある。それは脳の活性化、発達につながるからだ。これがスポーツがもたらす最大の「GIFT」だと思う。楽しく運動をすることで、もっとも人間らしく生きるために必要な前頭葉の活性化に繋がる。詳しくはまた紹介するが、この前頭葉は楽しく取り組まなければ活性化しない。強くなるために楽しむことを忘れてしまったら、スポーツはほとんどやる意味がないとさえ思う。

この3つがツバサの「育成の基礎」になる。この3つを礎の基としてその上にサッカーというスポーツが在る。逆にこのどれかを蔑ろにした時、サッカーはできても、サッカーで育成はできなくなる。どれだけ強いチームを作っていても。それが「基礎」、強いチーム作りは2の次以下。

最終的には「自己実現を達成し、社会において自分の能力を存分に発揮できる人材の輩出」を目指してはいるが、これはまたの機会。