基本を基本から考える
基本とは、判断・行動・方法などのよりどころとなる大もと。基礎。
基本なくして応用はない。ならばサッカーの基本とは何なのか基本から考える。
よくサッカーの基本として言われるのはボールを「止める」「運ぶ」「蹴る」といった足元の技術。GKを除きボールを手以外の部分で扱う必要がある以上、こういったテクニックが必要なのは間違いない。多くのチームが対面でのパス&コントロールやマーカーを使ったドリブル練習などでこのテクニック向上に多くの時間を使っている。
では他にサッカーにはどのような基本があるだろうか?そのためにはサッカーがどういったスポーツなのかから考えてみる。
サッカーは味方選手11人と相手選手11人が、105m×68mの広いコートで、90分の間に相手より1点でも多く相手のゴールにボールを入れるスポーツだ。
他のスポーツと比較すると、サッカーはラグビーに次ぐ2番目に多い人数、野球の次に広いコート、試合時間は一概には言えないが、制限時間があるスポーツの中では最も長い。そして忘れちゃいけないのがサッカーは最もルールの少ないスポーツでありまた、最も得点が入りにくいスポーツでもある。つまり、サッカーは最も選択肢が多く自由度の高いスポーツであるといえる。
これだけ選択肢が多いと、試合で勝つためにチームとしてどのように闘うかを考えなければいけない。ポゼッションをするのか、カウンターをするのか、サイドから崩すのか、中央から崩すのか、ロングボールを多用するのか、ショートパスで繋ぐのか。ディフェンスも同じ。前線でボールを奪うのか、リトリートするのか、サイドに追い込むのか、中央に追い込むのかなどなど、闘うための戦術が必要不可欠になってくる。しかも相手がいるスポーツ。相手の戦術に合わせた対応も必要になってくる。非常に奥の深いスポーツである。
これがサッカー。サッカーがどういったスポーツなのか見えてきたところで、話を戻す。
基本とは、判断・行動・方法などのよりどころとなる大もと。基礎。だとしたらこの闘うための戦術こそ、判断・行動・方法などのよりどころとなる大もと「基本」であり、足元のテクニックはそれを実行するためのスキルになると私は考える。
おそらく多くの人が、足元の技術が基本であり、そこから戦術に応用していくと考えるだろう。それが日本では一般的だと思う。地味な反復練習こそが基本練習であると認識されているからこそ、対面でのパス&コントロールやマーカーを使ったドリブル練習に多くの時間を割くのだろう。しかし、私は地味な反復練習は嫌いだった。自分が嫌だった練習を子供にさせたくもない、がテクニックの向上にはそれが必要なのは間違いない。
ただ、テクニックの上達には終わりがない。やればやるほど上手くなる。ここが難しいところ。ゴールの見えない努力はかなりしんどい。子供ならなおさら、すぐ飽きるだろう。飽きてしまった反復練習は脳に刺激を与えなくなり、ただただ数をこなすだけの「作業」に成り下がる。ゴールデンエイジといえど、作業の繰り返しは無駄とは言わないが、効率が悪いと言わざるを得ない。
戦術を基本として考えた場合はどうだろう。理想とするプレースタイルあれば、その実行に必要なスキルも見えてくるし、試合を行えばより顕著に現れる。こういうふうにパスを繋ぎたい、しかし相手が邪魔をする。ならより早いパススピードが必要だ。それをコントロールする技術も。パスを受けたら次こうしたい。でも相手はボールを奪いにくる。そこからボールを守ったり、相手をかわしたりする技術も必要になる。戦術という実行したい理想があれば、できていること、できていないことが見えてくる。そして子供もそれを感じる。
必要性を感じれば、反復練習も意味が変わってくる。より試合をイメージし、試合で実行するための質の高い練習になる。質を上げることができれば、数をこなす必要はない。より短い時間で効果を発揮できる。個人的な考えだが、おそらく、足元のテクニック向上のためにサッカーを始める人なんてほとんどいないと思う。サッカーを楽しみたい→試合に勝ちたい→勝つための戦術を知りたい→それに必要なスキルを身につけたい、これが自然な流れだと思う。
サッカーはチームスポーツ。広いコートで、たくさんの仲間と協力し、相手チームとボールとゴールを奪い合い闘うスポーツ。そこにはたくさんの選択肢があり、たくさんの駆け引きがある。一人ひとりがテクニックを発揮するよりも、チームみんなで協力し一つの方向を見て戦術的に闘うということこそがサッカーというスポーツの面白さだと私は思う。