努力の成果

今日はFCソンリッサの全日本少年サッカー大会熊本市予選があった。

結果は1−4の完敗。試合は負けたけど、終わってみればいつものように子供たちの笑顔が見られた。もちろん人には見せない悔しさもあっただろう。でも育成年代である子供たちの試合において、結果よりも重要なものがある。

それは「成長」だ。

成長を実感するために必要なのは、「あのチームに勝てるようになった」「あの子より点が取れるようになった」といった、他人との比較ではない。

本当に必要なのは「過去の自分との比較」だ。

前回の試合と比べてどうだろうか?半年前の学童五輪から新しくできるようになったことは何かな?1年前の新人戦とは?その前のゼビオカップからは?そして、サッカーを始めた時からはどれだけ成長しているだろうか?

結果ばかりに囚われていれば、見つけることのできない成長がたくさんあるはずだ。

「試合に勝てないのは、相手より努力が足りないから」「試合に出れないのは、他の人よりも頑張っていないから」こんなふうに言う大人がいる。でもこれは間違いだ。絶対に違う。大人たちが間違った比較をしてしまったら、子供の努力はどこに行く?子供の成長はどこにある?

あの元野球選手のイチローでさえ、引退会見で「人より頑張るなんてとてもできない」と言っていた。「世界一努力した」と言っても誰も疑わないはずなのに。そして「あくまでも量りは自分の中にある。その量りを使いながら自分の限界をちょっとずつ超えていく。少しずつの積み重ねでしか自分を超えていけない」と。世界のトップにまで登り詰める選手は、他人とではなく常に過去の自分と戦っている。

努力から得られる成果とは、他人との比較から生まれる「結果」ではなく、過去の自分を超えていく「成長」のことである。

相手がいるサッカーというスポーツ。どれだけ練習しても負けることがある。そもそも全ての試合に勝ち、全国制覇をすることのできるチームは1つしかない以上、ほぼ全てのチームが必ず負ける。でも、たとえ負けたとしても、全ての子供は成長している。これは間違いない。もちろんそこに個人差はあるが、それは努力の差ではなく、一人一人の顔が違うのと同じように、身長や体重が違うのと同じように、ただの個人差でしかない。気にすることじゃない。

親は木の上に立って見つけて欲しい、自分の子の成長を。そして試合は「今」上手い人が出るものではなく、子供一人一人が過去からの成長を実感するために、そしてさらに、これから成長するために、出るものだということを知って欲しい。「今」どれだけ下手であっても、そこに成長は必ずあるのだから。

「他人より上手くできた」「他人より上手くできなかった」そんなものは見ないで欲しい。そんな結果に子供たちの成長はない。

 

今日の試合には負けた。でも子供たちの成長は確かにあった。

子供たちは自分の成長を実感することができたかな?

親たちは自分の子供の成長を見つけることができましたか?

6年生はソンリッサを卒団するまで残り半年。ここからどれだけ成長し、最後にその姿を見せてくれるかな?

想像するだけで心が躍る。楽しみしかない。

これだから指導者は辞められない。