伝える力

子供たちを相手にしていると必ず起こる問題が喧嘩。

大人からすれば、「なぜそんなことで喧嘩してるの?」と思えてしまうことも多々ある。でも子供たちにとっては重要な問題で、お互いになかなか譲れない。

ここで考えなければいけないことは、大人がどこまで介入するか。

大人が介入すれば、喧嘩のきっかけは何か、何が悪かったのか、これからどうするべきなのか、その「答え」を出すのは難しくない。でも喧嘩をした時に大事なのは「いかに解決するか」ではなく「そこから何を学ぶか」だ。「こんなことを言ったら相手を怒らせてしまう。」「この子はこういうことを大事にしている。」子供たちはそれを学ばなければいけない。そして何より、子供たちにとって最も大事なことは、「自分の気持ちをいかに伝えるか」にある。これが難しいからこそ、衝突が起きる。

大人に言えば「うんうん」と優しく聞いてくれるだろう、それを噛み砕いて相手に伝えてくれるだろう。あるいは鶴の一声で一蹴されることもあるかもしれない。いずれにせよ、それでは「伝える力」は身につかない。「伝え方」を知ることができない。

伝える力が身につかないと自分の意見を言うことを控えるようになってしまう。なぜなら「伝えられない」し、相手にも「理解してもらえない」から。もちろん意見を言わずに、相手の意見ばかり聞くことに徹すれば喧嘩は起こらないだろう。大人になるとはそういうことだ、と言う人も多い。

でもそれは違う。一人一人違うのだから、一人一人違う考えがあるのは当たり前だ。それを認め、互いに尊重し合う関係性こそが大切。そのためにはまずは自分の考えを伝えなければいけない。そして相手の考えも聞き入れなければいけない。それが大人になる、成長すると言うことだ。我慢して自分を抑えることじゃない。

じゃあ今、小学生の子供たちに必要なのは、喧嘩が起きない、たとえ喧嘩が起きても早期解決できる環境ではなく、自分の気持ちを自由に言える環境ではないだろうか?その結果相手とぶつかってしまっても。そして自分の気持ちをどのように表現したら相手に伝わるのか、それを何度も何度も繰り返し失敗しながら学ぶことが大事なのではないだろうか?

これはサッカーも同じ。「ここはこんなプレーをするんだよ」と教えるよりも、子供たちが自らチャレンジして、失敗を繰り返しながら学ぶ方が大きな価値がある。

子供たちの心も答えを教えたからと言って直ぐに大人になるわけではない。心の成長も、一歩一歩ゆっくりでも確実に自分の力で歩くことのできる環境こそが、子供たちには必要ではないだろうか。