『教える』と『学ぶ』
みなさんは子供の頃、スポーツや学校生活で何を教えてもらいましたか?
サッカーで言えば、ボールの蹴り方、ドリブルの仕方、ボールの奪い方などなど、学校では国語、算数、理科、社会、英語etc、細かく言えば、字の書き方、漢字、足し算、引き算、数えきれない多くの事を、先生やコーチたちから教えてもらったと思います。
では、みなさんは子供の頃、スポーツや学校生活を通して何を学びましたか?
私がこの「ツバサ」を立ち上げて2年以上が経つ。主にサッカーを中心に活動しているが正直に言うと、私は決してサッカーを教えたくてツバサを立ち上げた訳ではない。年齢、性別、障がい分け隔てなくたくさんの子供たちに、サッカーやスポーツを通じて多くの事を学んで欲しいと思いからこの「ツバサ」を立ち上げた。
たくさんの子供たちがサッカーやその他のスポーツに取り組んでいて、そして多くの子供たちが「プロになりたい」と思っている。しかし残念な事に99%プロにはならないし、なれない。
サッカーを通じて教えてもらった技術は、そのほとんどが大人になってから何の役にも立たない。これが現実である。
ではなぜスポーツをするのか。「ツバサ」は何のために存在するのか。
それは、スポーツを通じて子供たちが自ら学んだ事こそに大きな意義があり、子供たちの将来に大きな影響を与えると考えているからだ。
ツバサで何を学んで欲しいのか、それは「ツバサの理念」に掲げている「Vision (目指しているもの)」がこれにあたる。
お互いがその人らしさを尊重合うことの大切さ、最高の仲間という存在の大事さ、自分で考え、自分で行動するという事の楽しさや難しさ、これをスポーツを通じて学んで欲しいと思っている。
もちろんサッカーの技術を教えたいとも思うし、なんなら「仲間を大切にするんだよ」「自分で考え行動するんだよ」と口で言っても良い。でもそれはあまりに一方的であり、自己中心的であるとも思える。
こちら側が教えた事を相手が出来ていないと、「前回教えたのに」「何で分かっていないんだ」「どうしてやろうとしないのか」と思うし、たとえ教えた事が出来ていたとしても「私が教えたから」「私が言った通りだ」と主語が常に指導者側になる。
主役は子供たちである。プレーするのは指導者の手や足ではない、子供たち自身である。
失敗は指導者の言う事を聞かなかったからではない。その子が挑戦したからだ。成功は指導者が教えたからではない。その子が努力したからだ。
子供たちにはあらゆる経験から学ぶ力がある。大人たちが一方的に教える事で、その力を奪ってはいけない。
大人が、子供に、スポーツを、教える環境から
子供が、自ら、スポーツを通じて、学べる環境へ
主語と視点を変えて