「才能がある」と言われる人たち

世の中には才能があると言われる人たちが一定数存在する。サッカーを教えていても「おっ!この子は良いものを持っているな。」と思わせてくれる子はいる。

スポーツチームが全国大会制覇や、リーグ優勝など高い目標を達成する上で、才能のある選手を見つけ出し、引き入れるというのは、極めて重要なことだ。スポーツチームだけではなく、どんな業種でも言えることだろう。では、そういった子たち、才能があると言われている人たちと、そうではない人たちにはどんな差があるのか。

その答えはとてもシンプルで、実は「才能がある」と言われる人たちとは、周りの人間から「才能がある」と思われている人たちである。当たり前のことを言っている様に聞こえるかもしれないが、才能があるから周りの人から「才能がある」と思われるのではなく、「才能がある」と周りの人が思うからその人は【才能が発揮】できるのである。

詳しくは【ピグマリオン効果】で調べてもらいたいが、人から「才能がある」と思われている人は、自然と「自分には才能がある」と思い込み【自己成就予言(自己に対する思い込みが現実になること)】が働き、才能を発揮することができる。そして、逆に言えば「才能がない」と思われている人は「自分には才能がない」と思い込み、才能を発揮できなくなってしまう。→【ゴーレム効果】

ある有名な指導者のインタビュー記事でこんなセリフがある。「自分のせいで才能を発揮できなかった選手がたくさんいるはず。『育てた』と言われる選手より気になります」

ついハッとさせられるセリフ。私も教え子たちの話になると、プロになった子、ナショナルトレセンに選ばれた子、全国大会に出た子など、サッカーにおいて優秀な子たちばかり名前が上がるが、そんな子達よりもサッカーを辞めてしまった子、カテゴリーが上がり試合に出れなくなってしまった子の方がはるかに多い。その子たちも紛れもなく私の教え子だし、私はその子たちの才能をもっと引き出すことが出来たはずだ。

【才能のない選手がいるのではない。才能を引き出せない指導者がいるだけだ】

指導者の先入観で子供の才能が発揮されなくなってしまうなんであってはならない。指導者に必要なのはダイヤモンドの原石を発掘する事ではなく、様々な光を秘めた原石たちをダイヤモンドに負けないくらい輝くまで研磨すること、そしてそれこそが【育成】だ。

誰もが同じように才能と可能性を秘めている。そしてそれを思いっきり発揮できる場所を探している。

「あの子は上手くなる」「この子はこのチームのエースになる」それは指導者の思い込みであり願望だ。もしかしたら、その子以外を育てれる自信が無さかもしれない。

【才能のない選手がいるのではない。才能を引き出せない指導者がいるだけだ】